ヨガでは最終的にジャッジがなくなるといいます。
良い悪いという判断は誰がしているのでしょう。
自分ですね。
良い悪いという概念は脳が勝手に作ったものです。
例えば、自然界では弱肉強食、食物連鎖があります。
弱いものが食べられることで成り立っている法則ですが、それを可愛そうだ、弱いものを食べるなんで悪いという概念で眺めているのは我々の勝手な脳の判断です。
別に動物に良い悪いはありません。
強いライオンは悪くて、食べられる弱い鹿は良いというものはありません。
鹿は植物を食べ尽くしてそれはそれで問題を生みますし、そもそもいいやつでありたいといって生きてません。
さぁこの勝手は判断は何に基づいているのでしょう。
それは我々の価値観です。
弱いものを守ることがいいことだという価値観です。
そしてその価値観は多くは経験と教育で作られます。
文明で育てられ、文明の価値観を植え付けられた人と、文明と距離を取り原始的な生活をしている民族とでは当然価値観は違うでしょう。
有名は話で、原始的な民族にお金を持っていったら、何だそれ?食えるのか?と言われたと。
紙幣ってただの紙ですもんね。
自然の中での使い道なら、鼻をかむ、便を拭く、または燃やすくらいでしょう。
紙幣の価値を共有している世界でしか通じない概念です。
そういう意味で文明は概念が作り出した虚構の中で生きているゲームのようなものですね。
さて、ヨガではこの価値観、概念を一度取り払って見ましょうといいます。
そうすると勝手な価値観で卑下したり、天狗になったり、一喜一憂することがなくなるでしょうと。
ありのままを見ることで、色眼鏡の世界観はなくなるよと。
ただ、このことを頭で、言葉で理解しようとしても難しいです。
身にしみて、腑に落として理解するためには実践が必要なのです。
それがヨガの実践です。
ヨガの実践を通してこの価値観の消去にたどり着かないと何をしているのか分かりません。
言うは易し行うは難しですが、方向性が明確であれば迷うことはありません。
私はこのヨガの考え方はとてもしっくりきます。
科学的な視点だからです。
ヨガって、スピリチュアルな感じでアバウトに、曖昧に、雰囲気で実践し伝えている人が多いと思いますが、私にとってはとてもクリアで、分かりやすい考え方です。
ヨガは実践だからこそ科学的です。
ハタヨガはやや感覚的で、魅惑的で、勘違いしやすい要素が多いですが、、、。
「自分なんて〇〇だ。」
「世の中なんでどうせ〇〇だ。」
「男なんて(女なんて)どうせ〇〇だ。」
思い込みは経験や教わった、影響を受けた価値観からきます。
ヨガを行うことで色眼鏡、心の縛りを捨てることができます。
ヨガは、とっても自分を楽にしてくれるものです。
コメントをお書きください
sonokotruxal (金曜日, 21 6月 2019 21:50)
涙がでます。