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焦り

何か課題にぶつかった時にその答えを求めるのは当然です。

その答えを探すために、調べたり、誰かの意見を聞いたり、今までの経験の中から探せるか試行錯誤します。

 

答えが見つからないと「焦り」が生まれます。

「何でだろう?」の答えが欲しくて欲しくて、、、。

この焦りはスピードを持っています。

 

早く答えを知りたい。

なぜなら分からないというモヤモヤを晴らしたいから。

未解決ほど自分を不安にさせるものはないから。

早く誰かを型で、レッテルではめたい、決めつけたい。

自分が楽になるから。

 

でも焦るほど、考察は雑になり、答えから遠ざかります。

耐えられなくなると、あるところで開き直って、「もう答えを探さない!」または「もうこの答えでいいや!」となります。

そして、自分の出した答えから周りを批判し始めます。

 

アレはダメだね。

アレは違うと思うね。

アレは偽物だよ。

 

自分を守るために。

自分の決めた答えで安心するために。

 

僕はこう提言したい。

「分からないままでも辛くないよ。」と。

「焦らなくていいよ。」と。

 

答えは人それぞれあるでしょう。

答えは探すのではなく、決めることもできます。

でもそれでは自身の成長は止まります。

人生長いのでどうせまた課題が出てきます。

 

僕は、課題を楽しんでしまうようにしています。

別に早く解決したいとも思いません。

つまり「焦らない」のです。

 

ちなみに答えは勝手に出てくるものだと思っています。

決めるものではなくて、悩んでいるとふと「あぁこれが真理だったんだ。」となることがあります。

もちろん、他者の考察でひらめくこともあります。

でもそれも、その人の話を聞くまでずっと悩んでいたからです。

 

答えは決めなくていいと思います。

焦らなくていいと思います。

大丈夫、いずれ分かる時が来るから。

その時に自信を持って生きていけるようになります。

 

子どもの時に必死でもがいたことってありますよね。

でもそれって大人になっ時、立場が変わった時にふとその悩みが可愛く思えるようになりますよね。

そのうち分かるよって自分に言えると楽になります。

 

ゆっくりと呼吸をして、ゆっくりと食事して、ゆっくり体を動かすと焦りは落ち着きます。

人は未熟で、神のように完璧な存在ではありません。

でもだから悩めるし、考えられるし、楽しいんだと思います。

 

決めつけたり、批判しなくても大丈夫、安心は心の中にあります。

 

ただ、人を傷つけたり、被害を生み出すものは批判しないとですね。

批判は自分のためではなく、他者を守る時にするものです。